調べてみると、1930年(昭和5年)に運用開始された、
『殖民軌道久著呂線』(塘路~上久著呂間)で使われていた橋です。
正式名称は『久著呂橋』。
『バンカ』と言われるようになったのは、昭和32年に制作された映画、
『挽歌』のロケ地で使われたことから、この名称がついたようです。
主人公が不倫の密会(?)に使っていた橋らしい…
誰かさんも真似してみますか?w
この映画、是非観たいと思います。
TSUT●YAにあるのかな?
話を戻しまして、
この橋は1965年(昭和36年)、鉄橋に架け替えられたようです。
その後、町道久著呂線が改良されたこともあり、1965年(昭和40年)に全線廃止。
鉄橋は道路の橋として転用されたようです。
もしかして、国道のアレキナイ川に架かっている橋がそうなのかな?
歴史を感じますね。
となると…
TIAさんのプロフ写真は木橋ですから、昭和36年以前に撮られたのでしょうか?
それとも、鉄橋に架け替えられた後にも、木橋は残されていた?
ゆうちゃんも中学生時代、崩れた橋を見たと記事にしていましたね。
読み返すと約30年前の話でした。
と言うことは、昭和50年代初頭。
それまで木橋は残っていたことになります。
この写真もその頃撮られたのでしょうか。
カラーだし、貴重な写真ですよね。
と言うことで、
釣りを通して、釧路川の歴史に触れるのも良いものです。
岩さんがネタにしてくれた、昔の写真等を見ると物思いに耽られるし、
釣りの昔話を聞くのも、実に興味深い。
釧路の釣り文化を良く知っている、
RSさんや
清●の社長の話なんて必聴です。
釧路川の辺に廃屋があるのですが、何故あそこに建てられたかなんて知らないでしょ?
『釣りキチ三平』に出てくる『谷地坊主』のモデルの話等など。
キチガイじみた先人の話は最高に面白いですぞw
開高 健著の『私の釣魚大全』に掲載されている、釧路湿原での“イトウ釣り”も必読です。
40年間、アキアジの密漁だけで生計を立てている人は出てくるし、湿原の谷地眼で密漁者が何人も命を落としていたり…
しかも船外モーター付きの小船でイトウ釣りです(汗)
ドジョウで釣ってます。
昭和42年のお話ですからね。
しかし、この時からイトウは『幻の魚』となっていたようです。
筆者は食べてますけど。。。
もしかすると脚色もあるかもしれませんが、今では考えられない出来事を学べます。
あ、釣りキチ三平の“イトウ釣り偏”も貴重な資料ですよね。
内容はさておき、タックルを見るだけでも楽しいです。
谷地坊主はもちろんのこと、魚神さんも最初に釣った(バラシした)イトウは、ABU507を使っています。
釣りに行かない休日に読書でもどうですか。
悠久の大地、『釧路湿原』に思いをはせるのも楽しいですよ。
これからも釧路の釣り文化を探って行こうと思います。
まずは…
ルアーの無い時代を想定し、ヤナギ虫を使った釣りでもしてみましょうか(爆)
どんだけ釣れるのでしょうね?
一回やってみたいのです。
どなたかブログネタとして、実験に付き合いませんか?w
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